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あわら市の文化財・史跡探訪 第5回 福井県指定文化財(史跡) 千束一里塚

最終更新日 2015年3月15日| ページID 006422 印刷する

慶長9(1604)年 、江戸幕府は東海、東山、北陸の諸街道を整備し、江戸日本橋を起点に一里塚を造らせました。一里塚の目的は、各地への里程(一里は約3.9キロメートル)と人馬賃の目安とし、旅人の便宜を図ったものとのことです。
北陸道の道幅は三間(約5.5メートル)で、一里ごとに道の両側に五間(約9.1メートル)四方の塚を造り、塚が崩れないように榎等を植えました。千束一里塚は、当初東側に2本、西側に1本の榎があり、旅人は木陰でしばしの休息を楽しんだとされています。明治以降、道路が拡張された際、東側の一里塚が取り壊されたので、現在は西側の一里塚だけが残されています。
これより北に細呂木の一里塚と宿場があり、南には坂井市坂井町下関に一里塚が残ります。

千束一里塚
現在の千束一里塚
(あわら市花乃杜三丁目

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