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坂ノ下宿場口跡

最終更新日 2014年11月28日| ページID 006191 印刷する

概説

金津町は、慶長7(1602)年頃に結城秀康によって定められた北陸街道の15宿駅のひとつで、街中を通り抜ける街道沿いには多くの旅籠屋が軒を連ねる宿場町でした。東西に町を横切って流れる竹田川を境に、北の北金津と南は南金津・新町に分かれていました。安永2(1773)年頃と推定される「村鏡」などによると、水口町・十日町・八日町・坂ノ下町からなる北金津の戸口は、家数411軒、人数1,394人で、往還沿いには旅籠屋60軒・揚屋20軒・遊女持7軒が店を構えて、宿場町の風情を漂わせ、そのほかに豆腐屋(2軒)、紺屋(3軒)、油屋(6軒)、大工(5軒)、鍛冶屋(7軒)、桶屋(6軒)、木挽(4軒)、毛貫屋(1軒)などの職人や商人の家々もありました。そして坂ノ下町には願泉寺と明善寺があり、願泉寺の少し西に本陣大文字屋(黒坂家)、東寄りにはもと大聖寺藩医の笹岡玄察の屋敷もありました。
この坂ノ下の宿場北口跡には、観音堂・地蔵堂・不動明王堂・題目塔・名号塔などが友平山裾の細い坂道に沿うように点在し、旧街道の面影を漂わせています。この坂を上り、北に向かうと大きな榎が立つ福井県指定文化財・千束一里塚も残っています。

概要

坂ノ下宿場口跡
指定区分あわら市指定文化財(史跡)
所在地福井県あわら市花乃杜三丁目(八幡神社境内他)
指定年月日平成14年8月6日
所有者・管理者八幡神社

場所情報

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