雨夜塚
概説
金津は宿場として栄えただけでなく、文学も盛んな地でした。和歌、漢詩なども行われましたが、特に俳句は、姫川吟社が宝永年中(1704~1711)に結成されるなど盛んでした。姫川吟社は昭和30年代まで続き、福井でも古い歴史と伝統を持つ俳壇でした。
姫川吟社二世の有隣庵我六は、寛延二年(1749)に芭蕉翁の遺徳を慕って「芭蕉翁之塔」を建てました。その碑文に「【野分して盥に雨を聞く夜かな】とは故翁の遺吟なるが、坂(野)我六のぬし風雅の冥慮を仰がんと此碑下に埋めとどめて雨夜塚と尊むなるべし」とあり、このことから雨夜塚と呼ばれるようになりました。その後、句碑が順次追加され、現在は16基の句碑があります。
これまでいくたびか移転されてきましたが、昭和五十七年(1982)に現在の総持寺へ移されました。
概要

指定区分 | あわら市指定文化財(歴史資料) |
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所在地 | 福井県あわら市花乃杜一丁目926番1号 |
指定年月日 | 昭和48年3月15日 |
所有者・管理者 | 総持寺 |
場所情報
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