本文へジャンプ
ホーム > 郷土歴史資料 > あわら市の文化財 > 市指定文化財 > 建造物 > 念力門(本願寺吉崎別院)

念力門(本願寺吉崎別院)

最終更新日 2014年11月26日| ページID 006127 印刷する

概説

吉崎別院は、文明3(1471)年 に本願寺8世蓮如が北陸での布教活動の拠点として築かれたのを始まりとします。当初は「お山」と称する山上に坊舎を構えていましたが、延宝5(1677)年 東西に分れ、それぞれその麓に寺域を定め、今日に至っています。
念力門は本願寺吉崎別院の北門で、京都本願寺の北門を譲り受け、昭和24(1949)年11月に信徒らが荷車16台で部材を運び、翌昭和25(1950)年4月に再建されたものです。
この門は、一間一戸、本瓦葺、切妻造の主屋根から、背後の控柱の上方に小屋根がつく、いわゆる高麗門という形式です。主柱間が約4.95メートル、主柱から背後の控柱間が2.84メートルで、高さは棟木まで6メートルほどです。主柱は見付が約64センチメートルもあり、上方の貫や木鼻、中備えの蟇股なども大振りです。2段の挿肘木で出桁を支え、主柱は棟木を直に受ける棟持柱であり、構造は簡素で、力強く、堂々としています。
この門の前身である本願寺北門は、天正19(1591)年 に豊臣秀吉から寄進されたと伝わります。蛤御門の変(元治元(1864) 年)には焼失を免れ、本願寺の諸堂宇も被災を逃れたことから「火消門」や「火止門」とも呼ばれていました。しかし、現在の念力門の貫の絵様や木鼻の繰形、蟇股などの細部形式は近世初頭に遡るものではなく、江戸後期の様相を呈し、柱などの部材にも400年も経たような風食は認められません。ちなみに念力門の名称は西本願寺第23世勝如によって命名されたものです。

概要

念力門
指定区分あわら市指定文化財(建造物)
所在地福井県あわら市吉崎一丁目201番地
指定年月日平成11年4月22日
所有者・管理者本願寺吉崎別院

場所情報

Google Maps サイトに移動して表示する(新しいウインドウが開きます)