絹本著色武曾信濃守勝融像
概説
白髭を蓄え剃髪した老人が、向かい合う亀を紋所にした赤茶色の大紋を着て、両手で数珠を握る様子を描いています。上畳の側面には墨絵で水草が描かれており、この図を描いた人物が、水墨画も巧みであったことがわかります。像主の武曾信濃守勝融は、永禄7年(1564)2月27日に82歳で亡くなっているが、画像の右端にもあとから記入したと見られる忌日がある。上部中央に題目があり、像の右肩には「武曾信□源[ ]」、「[ ]七十七歳」とあります。左端には「七月日」「日□(花押)」とあって、題目を墨書した者の署名があります。像主が右を向いているので、生前の寿像であることを示しており、77歳の喜寿を記念して描かせたのではないかと考えられます。
日源寺の武曾氏系図によると、武曾氏は朝倉貞景、孝景、義景の三代に仕えた家系でした。日源寺は父祖の墓所であった禅応寺を法華宗に改めて菩提寺にしたものです。県下には、朝倉氏を除いて室町時代にさかのぼる武士の肖像画はまれで、貴重な絵画です。
概要

指定区分 | 福井県指定文化財(絵画) |
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所在地 | 福井県あわら市瓜生17字20番 |
指定年月日 | 令和4年8月2日 |
所有者・管理者 | 日源寺 |
場所情報
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