わがまちの国際交流
藤野厳九郎と魯迅 ~出会いは都市の友好へと進化した(旧芦原町編)
はじめに
芦原町は、福井県の北端に位置する観光と農業の町である。
地勢は、中央部を東西に走る斜面により北部の丘陵地と南部の平坦地に二分され、北陸屈指の温泉として名高い芦原温泉は、このほぼ中央に位置している。
温泉が発見される前、現在の温泉街の辺りは低湿な田園地帯であった。明治16年、ここで1人の農夫がかんがい用の掘抜井戸を掘ったところ、薄い塩分を含んだ湯がわき出したのが芦原温泉誕生の起源となっている。
現在、年間150万人の観光客でにぎわう芦原温泉も、過去には、大震災、大火など幾多の困難を乗り越えてきた経験を持つ。
特に昭和31年4月の芦原大火では、旅館16軒、民家309戸が全焼したほか、半焼・半壊の家屋が約200戸、重軽傷者63名、被災者1559名に達し、損害額も当時の金額で52億円に及んだ。しかしながら、町民挙げてその復興に取り組んだ結果、温泉街は生まれ変わり、今では、近代建築の中に優雅さと奥ゆかしいたたずまいを守る「関西の奥座敷」として、また、東尋坊、永平寺など北陸観光の拠点として、毎年多くの観光客が訪れている。
藤野厳九郎と魯迅
芦原町は、中国浙江省紹興市と国際友好都市の関係を結んでいる。
人口1万4000人の芦原町と420万人余りの紹興市。2つの都市の友情のきっかけは、今から100年前のある出会いにまでさかのぼる。
明治37年、仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)へやって来た中国人留学生・周樹人は、解剖学の講義で1人の教授と出会った。
その教授は、色が黒くやせており、八の字ひげを生やし、眼鏡をかけていた。大小とりどりの書物を抱えて教室に入ってきた彼は、それを教壇の上に置くと、緩やかなとても抑揚のある口調で「私は藤野厳九郎という者で」と自己紹介をした。これが、後に中国で偉大な文豪で思想家と尊敬される魯迅と、藤野厳九郎との最初の出会いであった。
出会いから1週間後、周樹人は藤野厳九郎から研究室に呼ばれた。
「私の講義が筆記できますか。」
「まあできます。」
「持ってきて見せてください。」
こうしたやりとりがあって、周樹人は藤野厳九郎にノートを渡した。2、3日して返ってきたノートを見て、周樹人は驚きと感激を覚えた。講義を筆記した誤りを、文法的な間違いまで、皆朱書きで訂正してあったからである。そして、このノートの添削は、周樹人が医学から文学へと転向し、仙台を去るまで続いた。
このエピソードを記した魯迅著「藤野先生」は、中国の中学校の教科書に採用されており、藤野厳九郎のことを知らない中国人はまずいないとまでいわれている。
紹興市との友好交流
こうしたことを受けて、2人の出身地である芦原町と紹興市が友好都市の関係を締結したのは、昭和58年のことである。以来今日まで、両市町では、主に人と人との交流に主眼を置いて交流を進めてきた。
相互訪問についても、芦原町から紹興市への友好訪問団の派遣回数は27回にわたり、紹興市からの訪問団も40団を数える。
このほか、昭和62年からは、毎年、中学生を少年使節として派遣し、紹興市の中学生との交流会やホームステイなどを通して友好を深めている。また、芦原中学校では、この間、紹興文理学院附属中学と友好校の関係も締結した。
こうして、これまで紹興市を訪問した経験を持つ町民は、800人余りにも上り、実に町民17人に1人が紹興市を訪れた計算になる。
このほか、研修生の相互派遣も行っており、特にユニークなものとしては、昭和63年、当時、日本人観光客の入込み増を目指していた紹興市から料理研修生を受け入れ、半年間にわたり芦原温泉の旅館で日本料理の習得に当たらせたことなどが挙げられる。施設面では、昭和59年、藤野厳九郎の遺族から旧居が寄贈されたのを受けて、「藤野厳九郎記念館」として整備したほか、平成2年には「芦原町国際交流センター」を開設し、藤野厳九郎の遺品や資料、芦原町の国際交流の歩みなどを一般に公開している。
今では、これらの施設は来日する中国人の主要な見学先として位置付けられ、毎年多くの人が訪れるようになった。
友好締結20周年を迎え
紹興市との友好締結20周年を迎え、藤野厳九郎と魯迅のエピソードを次の世代へ伝えていくことを目的に、小学校高学年から中学生までを対象とした副読本を作成した。この副読本は、魯迅著「藤野先生」をもとに、藤野厳九郎の研究者である泉彪之助氏(福井県立大学看護短期大学部名誉教授)と藤野明氏(大阪市立大学名誉教授)が、2人の生い立ちなどを交えて読みやすくまとめたもので、町内の小・中学校で総合の授業などに利用されている。
また、11月には、紹興市から魯迅研究家を招き、芦原町において藤野厳九郎の研究者とシンポジウムを行った。
おわりに
芦原町は、平成16年3月、金津町と合併し、新たに「あわら市」として生まれ変わる予定である。
これまで中国を中心に、そして人と人との触れ合いに重点を置いて進めてきた国際交流も、合併を機に、より多面的なものへ、より踏み込んだものへと発展させていきたいと考えている。
- 以上の詳しい内容は、2006年惜別百年記念事業で作成した記念誌『藤野先生と魯迅-惜別百年-』から抜粋した次のページををご覧ください
※友好交流の歩み(PDF形式:1,138KB)
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