藤野厳九郎記念館
この記念館は、昭和58年芦原町と中国の浙江省紹興市との間で締結された友好都市を記念して、藤野家遺族から三国町宿第35号14番地にあった旧宅を寄贈されたもので、芦原温泉開湯100周年記年祭の昭和59年7月に「藤野厳九郎記念館」としてあわら市文化会館横に移築された。
さらに、平成23年には、同年整備された、あわら温泉湯のまち広場に移築された。
藤野厳九郎は、解剖学教授として周樹人(魯迅)と師弟の交わりのあった仙台医学専門学校(現東北大学医学部)を辞して以来、主として生まれ故郷である本荘村(現あわら市)下番に住み、医師として診療に当たったが、昭和8(1933)年から逝去した昭和20(1945)年までの12年間は、文夫人と三国のこの家で暮らした。
記念館内の資料室に展示してある書籍、医療器具、 書簡など多くの遺品は、藤野厳九郎の人柄を知る上で、たいへん貴重なものである。
| 開館時間 | :午前9時00分~午後6時00分 |
| 休 館 日 | :毎週火曜日・年末年始(12/28~1/3) |
| 入 館 料 |
:大人(大学生以上) 200円 ※高校生以下及び身障者の方は無料 |
藤野先生と周樹人(魯迅)
中国の北京に、今は亡き有名な作家魯迅の旧宅が残っている。
魯迅とは「阿Q正伝」その他で、国際的に有名な中国を代表する文豪である。その家の中に一枚の写真が今も置かれてある。
その写真の主は、本荘村(現あわら市)の下番で、大正5年から昭和20年8月11日に亡くなるまで町医者として町民に親しまれた藤野厳九郎先生である。藤野先生は、明治7年に下番の医師下番の医師藤野升八郎の三男として生まれ、幼少より父に漢文を習い、8・9歳の頃中番にあっ た野坂塾で学んだ。
この漢学を学んだことにより、中国5千年の歴史に目と心が開かれていったと思われる。やがて先生は、龍翔小学校へ、ついで福井中学校を経て愛知医学校へと進み、優秀な成績をもって卒業した。そして母校と東京帝国大学で、引き続き解剖学を研究して、明治34年に招かれて仙台医学専門学校講師となりやがて教授となった。
明治37年、清国(現在の中国)から1人の留学生が仙台医専に入学してきた。名前を周樹人(後の魯迅)といい23歳の多感な青年であった。この青年が藤野先生の講義をノートして、先生に提出したことから深い師弟関係が始まった。異国の地で学ぶ魯迅に、朱筆で誤字や脱字を直しながら、偉大な隣国の学生を育てていったのである。
時あたかも日露戦争の最中で日本は中国を軽視する風潮があったので、この藤野先生の魯迅への親切は、彼の脳裏に終生深く刻み込まれたのである。やがて魯迅は志を文学に変えて仙台医専を去るが、2カ年の生活は後に魯迅選集の中の「藤野先生」として世に出たのである。
場所情報
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