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細呂木関所跡

最終更新日 2014年11月28日| ページID 006187 印刷する

概説

細呂木関所は、初代福井藩主結城秀康(徳川家康の次男)が慶長6(1601)年に越前入国の際、加賀国に接する北陸道の関門として設けられたもので、南の板取の関(南条郡南越前町)と共に国境を警備し、通行人と物資の搬出を監視する要所でした。
嘉永4(1851)年の記録によると、関所は道を挟んで左右六十間(109メートル)、高さ六尺五寸(2メートル)の柵が設けられていました。木戸の扉は幅五尺(1.5メートル)、高さ七尺(2.1メートル)の2枚城戸で、城戸柱は六寸角(18センチメートル)、高さ八尺五寸(2.6メートル)でした。城戸は日の出とともに開門し、日没とともに閉門していました。
この関所を通るには福井藩の役所手形が必要で、金津奉行所から派遣された番人が関守としてその任に当たりました。宿舎は三間(5.4メートル)に四間半(8.1メートル)の二軒長屋でした。
当初は「関所」と称されましたが、その後「口留番所」と呼ばれるようになりました。明治2(1869)年に廃止されました。

概要

細呂木関所跡
指定区分あわら市指定文化財(史跡)
所在地福井県あわら市細呂木26字6番1号
指定年月日昭和48年3月15日

場所情報

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