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本荘春日神社本殿

最終更新日 2014年11月26日| ページID 006126 印刷する

概説

当社は、中世興福寺領河口庄十郷にあった春日神社の総鎮守社で、「お春日さん」と呼ばれ、崇敬されています。『春日神廟記』によれば、天永元(1110)年 勅旨中納言藤原時実以下、興福寺の衆徒観如僧都や僧侶80余名、そして奈良春日社の大連社官中務丞藤原国等ら社士480名余が下向し、当社が遷座されたといいます。
本殿は、柿葺の三間社流造で、正面が三間(約3.77メートル)、側面が二間(2.28メートル)の身舎に三間の向拝がつきます(向拝柱は取り去られ、その上方に付いていた手挟みだけが残ります)。身舎内部は後方一間を内陣(神棚)、前方を前室とします。前室の前方は開放されていますが、柱の風食や痕跡から以前はここに建具が入っていたことがわかります。
正面と両側面に縁が回り、側面背後には脇障子がたちます。縁の手すりは蹴高欄で、前方木階部の親柱は擬宝珠つきです。内陣正面の3柱間はそれぞれ両開きの板戸で閉ざされ、側面と背面は横羽目の板壁となっています。身舎柱は欅の丸柱で、柱上の組物は拳鼻付平三つ斗、その大斗や升、肘木には彩色の跡が伺えます。中備えは蟇股で、これら細部形式は江戸初期から中期にかけての様相を呈しています。
屋根裏から見つかった上棟札によると、建築年代は元禄12(1699)年 、大工は伊井村の杉原加右衛門・同七右衛門ら6名です。さらに興味深いのは「富札」すなわち「宝くじ」を興行し、造営費用を捻出していたことです。
向拝や身舎正面の間仕切りに改変がありますが、蟇股や木鼻など細部形式は古式を留めています。17世紀最末期に遡る県内有数の三間社流造の古社として貴重な遺構です。

概要

本荘春日神社本殿
指定区分福井県指定文化財(建造物)
所在地福井県あわら市中番下番入会地1番1号
指定年月日平成23年3月25日
所有者・管理者春日神社氏子

場所情報

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